« 甲状腺患者から見えた原発事故(1) はじめに | トップページ | 再掲載: 福島第一原子力事故と私の接点(3) »

2016年7月14日 (木)

リバイバル・甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(2) 

Cocolog_oekaki_2016_07_14_09_56


甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(2) 


■私の病名は橋本病

私は甲状腺疾患を2005年位から患っている。病名は橋本病という。
 最初は甲状腺機能低下症という病気かと思っていて、いつか完治するものだと思っていた。 昆布を食べ過ぎても甲状腺機能が低下することもあるとものの本にも記述されていたため、そうした病気とは認識していなかった。しかし、後に、生涯甲状腺ホルモン補填剤を常用しなければならない橋本病と病名が診断された。

 橋本病とは慢性甲状腺炎症というのが別名で、何らかの理由で自分の抗体が自分の甲状腺を攻撃してその機能にダメージを与える病気のようだった。
攻撃された甲状腺は機能が壊れ甲状腺ホルモンを出せなくなって、様々なところに支障が出てくるようだ。私の場合は、まず鼻の頭にニキビ様の出来物ができた。顔の真ん中なので面疔かと思い、皮膚科に行った。医師の見立てはニキビとのこと。ニキビ用軟膏をくれただけだった。が、直後から、かえってひどくなった。血行も悪くなり、足の爪などが変色していった。

 やむを得ず、クリニックの内科を尋ね血液検査をした結果、コレステロールが高いことが判明した。中性脂肪もLDLコレステロールもすべて高いことが分かり、早速食事療法をさせられたが、この原因が甲状腺疾患によるものだと判明するのに、一年半程掛かった。

  念のため、セカンドオニオンとして、電話での医療相談をしてみた。症状を話すと「それは甲状腺疾患の可能性もある。血液検査で分かるからチェックしてもらうとよい。」と指導され、そのクリニックの医師に、コレステロール検査の折に、甲状腺の血液検査も追加し実施した。しかし、クリニックの医師はTSHが高かったにもかかわらず「異状なし」とし検査結果を誤診はした。(この頃は、TSHが何かという知識もなかったので、医師の診断結果を疑うこともなかった。)

 血行は益々悪くなり、その年の冬、また鼻の頭に出来た出来物は潰瘍状態に腫れ上がり悲惨なものだった。いくら食事療法をしてもコレステロール値はさしたる変化もなく、私は体重を減らし、一年位後には40キロを割った。(この間、呆れるほど虫歯になり、多くの歯を犠牲にした。それでも、医者を変えなかったのは、その医師が漢方医でもあり、人柄の良い医師だったからである。しかし、甲状腺のことには詳しくなかったのだった。) しかし、一年半も経て食事療法の指導ばかりで体重が36kg近くにもなり、症状も好転せず、さすがおかしいと私は医者を変えてみた。

 そこでの検査で初めて甲状腺に問題があることを知り、甲状腺ホルモン補填剤を恒常的に経口することになることになった。(先のクリニックの医師の誤診のおかげで、一年半もの間、ホルモン補填剤を飲む機会を失し、様々な症状に苦しんだ。)しかし、この甲状腺ホルモン補填財は、その処方さじ加減が専門家でないと難しいらしく、その後も多すぎたり少なすぎたりで、そのたびにコレステロールが跳ね上がった。

 その後三回も医師を変えて、やっと市民病院に紹介状を持参し、甲状腺専門の医師の受診が叶った。ここで、甲状腺エコーも受け、正式に橋本病と診断されたのだった。
私が甲状腺疾患を持った患者であることは先にも言ったが、それゆえ、甲状腺ホルモン補填薬を毎日一錠、7年余永続して使っている。

 そして、2011年3月12日福島第一原発事故が起こった。この原発事故と私の接点は、この薬レボチロキシンナトリウムすなわちT4製剤であった。生涯服用していかなければならないこの薬を通じて、私は原発事故後、製薬会社、関系官庁、学会等の矛盾や隠された事実を知ることになる。

 そもそも、その薬というのが福島県いわき市に立地する某製薬会社で作られそのシェアが98%を占めていて、その薬が供給の危機に陥っていると後に知った。(この薬の供給不足については、ロイターや読売新聞でも社会問題化していた。)

 その薬の商品名はチラージンSといい、製薬会社の名前はあすか製薬といった。(その情報を知ったのも、原発事故後五日経ち、市民病院に定期診察に行った折、チラージンSの供給不足について医師から伝えられたことで始めて知った。それまでは愚かなことに、製薬会社名すら知らないまま一日一錠を7年近く服用してきた。ましてや、その会社が福島県に立地していることなど知る由もなかった。)
 

 そして、この日から、色々な意味での私の闘いが始まった。そうした闘いのプロセスにおいて、私は驚愕に値する製薬会社、関係官庁、関係学会等の影とその舞台裏を知っていくことになる。最初は半信半疑だったが、事故後二年余経って、少しずつその意味するものの正体が分かってきた。そして、その正体に付随する影の正当性を問うようになった。         (つづく)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ブログ更新しました。

|

« 甲状腺患者から見えた原発事故(1) はじめに | トップページ | 再掲載: 福島第一原子力事故と私の接点(3) »

原発・放射能・甲状腺」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1886448/66500180

この記事へのトラックバック一覧です: リバイバル・甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(2) :

« 甲状腺患者から見えた原発事故(1) はじめに | トップページ | 再掲載: 福島第一原子力事故と私の接点(3) »