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2016年7月16日 (土)

再掲載: 福島第一原子力事故と私の接点(3)

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福島第一原子力事故と私の接点

 

患者としての体験 (3)

■福島第一原発事故当初の経緯

 

2011年3月12日福島第一原発事故が起きた。たまたま、3月17日が病院の受診日に当たっていた私は受診し、甲状腺ホルモン補填剤の供給が大量に不足していて今まで二ヶ月分貰っていたのが、二週間分しか渡せない旨担当医師から聞いた。


この時点で、私は自分が原発と具体的に原発事故と接点を持つに至ったと先に記述した。(しかし、50mgが二ヶセットになっているので、私の摂取量は一個だったので、結局は一ヶ月分となった。)

 

原発から距離的には離れた場所にいた私は、直接的にはこの原発事故に無関係に見えたものの、私はこの甲状腺ホルモン補填剤を通じて、この原発事故と拘わりを持っていった。この甲状腺ホルモン補填財はチラージンSという名前だった。

 

 私は、この名前を頼りにインターネット検索で製造している会社名を捜し出した。その会社はあすか製薬といい、いわき市に立地することが判明した。ともかく、橋本病である私は、甲状腺ホルモン補填剤を常用しなければならず、こうして薬を通じて、私は原発事故と向き合わざるを得なくなっていった。

 

 原発事故後、私が初めてしたことは情報収集だった。あすか製薬から上ってくるインターネットのニュースリリース、日本甲状腺学会のT4委員会から刻々上がってくるニュースリリース、文部課科学省から流される様々なデーター収集に追われた。


こうした検索を通じて、あすか製薬がいわき市小名浜港の近くに立地し、福島第一原発からは58キロ離れていることを知った。原発の知識など全くなかった私は、この距離が安全なのか、心配なのかどうかすら分からなかった。

 

しかし、時系列で振り返ってみても、福島第一原発から放出された放射線値は聞いたこともない量だったし、訳が分からなかった。文部科学省から出たいわき市、平字梅本という場所の雑草のデーターのヨウ素はゼロが四桁並んでいた。それをどう考えたらいいのかそれも分からないままだった。そのデーターを初めて測定した日は、3月18日となっている。

 

その因果関係は、原発の水素爆発と深く関係があるらしい。それを少し整理すると、 3月12日 福島第一原発一号機で水素爆発
3月13日 3号機の燃料棒が露出
3月14日 福島第一原発3号機で水素爆発
3月15日 2号機で爆発音。4号機で爆発、火災発生

この3月15日いわき市の空間線量は一番高く、福島県内7方部放射能測定モニタリングデーターによれば、2:00amには、18.04㏜、4:00amに23.72㏜との数値が観測されている。

 

■いわき市雑草の放射線ヨウ素690.000ベクレル/kg

 

SPEEDIのデーターが公開されたのは四月になってからだが、改めて振りかえってみても、この3月15日は、確かに2号機と4号機の放射線が、いわき市の方向へ向かって大量に放散している様子を予測している。そして文部科学省の3月18日雑草から観測された放射線はヨウ素690.000ベクレル/kg 、セシウム17.400ベクレル/kgという数値だった。セシウムは3月23日が一番高く30.300ベクレル/kgという数値だった。

 

しかし、このSPEEDIのデーターの公開が遅かったため、当初は何故こんなにも雑草の値が高かったのか分からなかった。私は、この雑草のデーターの一覧は早期に発見したものの、福島県内7方部の環境放射能測定モニタリングデーターには気が付かなかった。雑草に目眩がするような放射能が検出されているのに、それにしてはいわき市の合同庁舎で測定した放射線空間線量の値は低く、このことが、当初私にとって、謎だった。

 

私の内心は、できれば、この数値が誤測であることを願っていた。(しかし、この頃のメモを引っ繰り返してみると、2011年3月26日千葉県のホウレン草4300ベクレル、茨城県のホウレン草からも4100ベクレル検出されている。同年3月30日のニュースの発表では福島県のホウレン草は、通常の37倍34000ベクレル/kgになっている。)このびっくりするようなホウレン草の数値は、一連の文部科学省の雑草の測定データーを参考にすると納得できた。

 

この雑草のデーターについては川俣町は3月25日から測定されているが、放射線ヨウ素も663000ベクレル/kgであるが、セシウムも驚く程高く497000ベクレル/kgと始まっており、4月1日には最高966000ベクレル/kgとなっている。二本松市も2011年3月25日から測定が始まっている。ヨウ素はいわき市に比べ低く、73400ベクレル/kgから始まっているが、セシウムは235000ベクレル/kgといわき市に比べると10倍以上高くなっている。

 

南相馬市原町区で測定されているが、3月18日放射線ヨウ素88600/kg、セシウム17800ベクレル/kgから始まっているが、翌日は、放射線ヨウ素は突然数値が跳ね上がり455000ベクレル/kg、その翌日は497000ベクレル/kgで最高である。その後は下がっていく。セシウムは17800ベクレル/kgから始まり、3月27日39900べクレル/kgとなっている。


飯館村のデーターは当初より測定されていないので掲載されていない。改めて比べてみれば、いわき市と川俣町の放射線ヨウ素の値が突出していることが分かる。途方もない放射線が放出されたことは事実のようであった。

 

ともあれ、原発事故後五日目の3月17日、病院で受け取った甲状腺ホルモン補填剤を通じて原発との接点と遭遇してからは、ともかく情報を集めることだった。それに焦点をあわせ、私のストレス全開の闘いが始まった。(つづく

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☆ブログ更新しました。

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