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2016年7月11日 (月)

甲状腺患者から見えた原発事故(1) はじめに

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甲状腺患者から見えた原発事故(1)
  

 第一章
     
     患者としての体験<1>
        
           

はじめに……

 一昨年、水戸で福島第一原発の事故で精神的に不安定になった六十代の妻を七十代の夫が殺したという事件が報道された。妻が殺してくれと夫に依頼したという。 

情報公開されたSPEEDIを追ってみても、2011年3月15日放射線は福島県富岡町から、いわき市を通り抜け茨城県まで届こうとしている。
 

 また、昨年三月NKKのETV特集で「ネットワークでつくる放射線汚染地図5「埋もれた初期被爆を追え」という番組で、放射線ヨウ素131の拡散状況が公開された。その図を確認すると、3月15日、一万ベクレルという放射線プルームは真夜中頃から南に流れ、福島県南部から茨城、栃木、群馬へと流れていった。おそらく、水戸にも大量の放射線が達したことだろう。その放射能は午前中に関東地方全てに届いたという専門家の見解も出されている。
 

2012年5月9日川俣町の五十代女性の遺族が、東京電力を提訴したというニュースも報道された。女性は七月の一時帰宅の折り、自宅の庭で焼身自殺をしたとのこと。原発事故という余りに苛酷な運命に晒され、慣れない避難生活に鬱状態になり死を選択したのだろうか。平穏な日常生活を一瞬にして奪われ、おそらく、女性は倒れていったのだろう。 どちらの女性も、見えない放射線と対峙しなくてはならず、そのストレスはいかばかりかと想像するしかない。そして、私にも共感できる心情があった。
 

私も甲状腺疾患があり、福島第一原発の事故に対し薬という媒体で接点を持っていた。 この接点を知ってから私は年中苛立っていた。なぜなら、この製薬会社が福島県いわき市に立地し、しかも98%シェアを占めていて、変更したくともそのルートが見いだせない困難の上に立っていたからだった。
 

この精神状態がストレスの引き金になっていたのか、2011年、私は三度頭を打った。こんなことは初めての体験だった。ともかく、始終、苛立ち集中力を欠いていた。(これも原発事故によるストレスらしいと実感したのは、後になってからである。)

一度目は六月ベッドの宮の角に後頭部をぶつけ、二度目は8月か9月(この時は軽く打っただけだったので、さすが、自己嫌悪で医者へは行けなかった。)三度目は11月末のことだった。(出窓の下の枯れ草を整理し、立ち上がったとき軽率にも右頭部を打った。)
 

 6月の時は、翌日脳神経外科に行きMRAを受けた結果、とりあえず異常はみられなかった。まさか、11月に、また頭を打付けるとは思わなかったので、7月に、整形外科でレントゲン撮影をした。というのも、震災後、左半身手足に痺れたような不快な感覚があり、左頬まで痺れるような症状が出てきたので、検査を急いだのだった。
 

 しかし、11月末にまた頭をぶつけCTを受けるはめになった。この年だけで合算すると、2.819mシーベルト位の放射線を浴びることになってしまった。(この間、歯科治療で3回位レントゲンを浴びているので、数値はもっと上がっているだろう。)食生活までも、セシーム過敏症になり、魚や海産物など食べられなくなってしまった。いちいち生産地を細かく吟味するのも負担がかかり、食べるという行為にすら苛立った。結果、食生活が荒れた。年中、常態的に苛立っているため血圧まで上がってしまった。
 

整形外科、神経内科、脳神経外科の精密検査結果は問題なかったので、多分に心理的なことだったのだろう。しかし、結果的に、合算して2.819mシーベルトの医療被曝をしてしまった。
 

考えれば、今回の福島第一原発事故ゆえに精神状態が不安定になり、余計な被爆をしたのである。原発事故がなければ、頭をぶつけることもなかったろうから、レントゲンやCT等受けることもなかったろう。とりあえず、私の2.819mシーベルトの医療被曝は、今回の福島第一原発事故により、製薬会社が福島県に立地し、その製剤を飲まなければならないという精神的に追い詰められた因果関係による医療被曝だと思っている。
 

要するには、私も原発事故の影響を少なからず受けたという感覚がある。少なくとも、そうした割り切れない怒りは事実だったし、多くの人々も、様々な影響を被ってきたことだと思う。                 (つづく)

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あとがき

☆ブログ更新しました。

☆原発事故から5年以上経ち、記憶も風化しています。でも、本当は何も解決されているように思えません。あの時の疑問を、再度、掲載して記述しておこうと思います。文章は、そのままにしています。

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