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2016年7月

2016年7月22日 (金)

甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(4) 

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■あすか製薬のニュースリリース

あすか製薬も2011年3月18日からインターネット上にプレスリリースを次々に掲載していた。

3月18日 第一報として供給困難のお詫びと供給再開へ全力で取り組んでいる。その方法とし
て①製造委託会社による生産②海外製品の緊急輸入③いわき工場の操業再開としている。

3月19日 いわき工場の操業再開について進展があった。チラージンを製造していた第1製剤棟は、被害状況が軽微であることが判明。工場内のチラージンの原料は確保できた。製造に不可欠な物資(重油の必要量200ℓ/日、水の必要量2000ℓ/日)について調達の見込みがついた。

3月25日 今回の震災に伴い、いわき工場の製造設備および立体倉庫が損傷したが、復旧に向けて全力で取り組み、本日より「チラージンS」の生産、出荷を開始したことをお知らせするが、生産体制は充分ではないので、ご理解ご支援お願いしたい。(ここで、立体倉庫が損傷したことは認めているのだ。)

4月1日 「サンド社の協力を得て、ドイツから輸入された「レボチロキシンナトリウム製剤」を販売することをお知らせする。「チラージンS」の生産、出荷を開始したものの、いまだ通常の生産体制には至っていない。鋭意努力して参るが、ご支援ご理解お願いしたい。(こう当初、あすか製薬は言っているものの、今年になって分かったことは、緊急輸入について、輸入者も販売者もサンド社、あすか製薬は発売者なのである。そして、この緊急輸入は、原発事故後一週間以内位に、あすか製薬がサンド社本社に依頼したところから始まっていた。しかも、この件に内分泌関係五学会が、強力なバックアップをしたことも分かった。私達患者も医療関係者も、厚生労働省が指導した公的な輸入なのだと、根拠もなく信じていた。このことは、後に詳述する。)

4月7日「サンド社から第一便(86万8百錠)が入荷した。今後、五週間をかけて緊急輸入品として5000万錠が順次入荷する予定。4月8日から緊急輸入品の出荷を開始し供給を図っていく。いわき工場では「チラージS錠」の生産を再開し、四月下旬には通常の生産体制に復帰できるよう計画を進めているので、引き続き支援をお願い申し上げる。」

以上の趣旨掲載していたことをまとめてみたが、3月18日のあすか製薬のプレスリリースを見て、まず、私が思ったことは

○製造委託工場とはどこにあるのかということ
○なぜ、あすか製薬はわざわざ安全な海外製品を汚染リスクがある場所に持ち込むのか。
○いわき工場を再開するって言っても、いわき市の雑草から690000ベクレルのヨウ素が検出されているし、セシウムは多いときで30100ベクレル検出されている。

であれば、いわき工場が安全と言いきれるのか。という疑問だった。

こうした疑問を貯めて、あすか製薬の薬相談室に電話を入れたのは3月28日だった。(次の診察日までは1ヶ月あったので、対応を考えれる時間的余裕はあった。)

3月28日 薬の製造年月日についての見方から聞いた。原発以前のものか原発後のものか判断するためだ。それと、新しい製品となるのは四月の下旬からという情報も得た。放射線の危惧に関しては、「ここは58キロ離れているので大丈夫。」との回答。放射線検査もしているし、何か問題があればその都度対応する。委託会社はどこに立地するのかは企業秘密であるとのこと。福島県ではないことだけは、確認した。

 
■武田薬品に緊急輸入製剤の汚染地区への搬入回避を要望


輸入品については、あすか製薬に要望しても無理だろうと推察したので、同日販売を担当すると聞く武田薬品工場に電話を入れた。


3月28日 武田製薬に輸入製剤の安全性について「いわき市の雑草の放射線値が目眩が出そうな値になっている。あすか製薬は58キロ離れているから安全だと言っているが、放射能事故があったのだから、軽々に安全と言い切れない。甲状腺患者は、毎日恒常的に薬を飲まなければならない。第一、なぜ、緊急輸入品を汚染リスクのある場所に運ぶのか。販売は御社がしているというのでたずねている。」と聞いた。「製造はあすか製薬、販売は武田が責任を持っている。緊急輸入製剤の件は何とも答えられない。ただ、安全性については、弊社も責任は共有するので、一応意見として上部組織にあげておく。」との回答だった。


武田製薬への電話で、緊急輸入品は、あすか製薬に原則的には運び込むという情報を得た。ここから、輸入製剤を一過的には使用しても緊急だから一過性のものだろう。これから将来放射線の内部被曝のことを考えた時、恒常的に毎日製剤を飲まなければならない。やはり、薬を2%のシェアの会社に変更しなければならない、あるいはしたいと私は決意した。

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☆ブログ更新しました。

☆これは、かつて書いたものを再度書いています。それは、もはや原発事故なんて何もかったかのような対応をしている政府や経済界に対する反発です。

☆デブリも見つかっていない実態の中で、五年で放射線が消えてしまうわけもないのに…。

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2016年7月16日 (土)

再掲載: 福島第一原子力事故と私の接点(3)

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福島第一原子力事故と私の接点

 

患者としての体験 (3)

■福島第一原発事故当初の経緯

 

2011年3月12日福島第一原発事故が起きた。たまたま、3月17日が病院の受診日に当たっていた私は受診し、甲状腺ホルモン補填剤の供給が大量に不足していて今まで二ヶ月分貰っていたのが、二週間分しか渡せない旨担当医師から聞いた。


この時点で、私は自分が原発と具体的に原発事故と接点を持つに至ったと先に記述した。(しかし、50mgが二ヶセットになっているので、私の摂取量は一個だったので、結局は一ヶ月分となった。)

 

原発から距離的には離れた場所にいた私は、直接的にはこの原発事故に無関係に見えたものの、私はこの甲状腺ホルモン補填剤を通じて、この原発事故と拘わりを持っていった。この甲状腺ホルモン補填財はチラージンSという名前だった。

 

 私は、この名前を頼りにインターネット検索で製造している会社名を捜し出した。その会社はあすか製薬といい、いわき市に立地することが判明した。ともかく、橋本病である私は、甲状腺ホルモン補填剤を常用しなければならず、こうして薬を通じて、私は原発事故と向き合わざるを得なくなっていった。

 

 原発事故後、私が初めてしたことは情報収集だった。あすか製薬から上ってくるインターネットのニュースリリース、日本甲状腺学会のT4委員会から刻々上がってくるニュースリリース、文部課科学省から流される様々なデーター収集に追われた。


こうした検索を通じて、あすか製薬がいわき市小名浜港の近くに立地し、福島第一原発からは58キロ離れていることを知った。原発の知識など全くなかった私は、この距離が安全なのか、心配なのかどうかすら分からなかった。

 

しかし、時系列で振り返ってみても、福島第一原発から放出された放射線値は聞いたこともない量だったし、訳が分からなかった。文部科学省から出たいわき市、平字梅本という場所の雑草のデーターのヨウ素はゼロが四桁並んでいた。それをどう考えたらいいのかそれも分からないままだった。そのデーターを初めて測定した日は、3月18日となっている。

 

その因果関係は、原発の水素爆発と深く関係があるらしい。それを少し整理すると、 3月12日 福島第一原発一号機で水素爆発
3月13日 3号機の燃料棒が露出
3月14日 福島第一原発3号機で水素爆発
3月15日 2号機で爆発音。4号機で爆発、火災発生

この3月15日いわき市の空間線量は一番高く、福島県内7方部放射能測定モニタリングデーターによれば、2:00amには、18.04㏜、4:00amに23.72㏜との数値が観測されている。

 

■いわき市雑草の放射線ヨウ素690.000ベクレル/kg

 

SPEEDIのデーターが公開されたのは四月になってからだが、改めて振りかえってみても、この3月15日は、確かに2号機と4号機の放射線が、いわき市の方向へ向かって大量に放散している様子を予測している。そして文部科学省の3月18日雑草から観測された放射線はヨウ素690.000ベクレル/kg 、セシウム17.400ベクレル/kgという数値だった。セシウムは3月23日が一番高く30.300ベクレル/kgという数値だった。

 

しかし、このSPEEDIのデーターの公開が遅かったため、当初は何故こんなにも雑草の値が高かったのか分からなかった。私は、この雑草のデーターの一覧は早期に発見したものの、福島県内7方部の環境放射能測定モニタリングデーターには気が付かなかった。雑草に目眩がするような放射能が検出されているのに、それにしてはいわき市の合同庁舎で測定した放射線空間線量の値は低く、このことが、当初私にとって、謎だった。

 

私の内心は、できれば、この数値が誤測であることを願っていた。(しかし、この頃のメモを引っ繰り返してみると、2011年3月26日千葉県のホウレン草4300ベクレル、茨城県のホウレン草からも4100ベクレル検出されている。同年3月30日のニュースの発表では福島県のホウレン草は、通常の37倍34000ベクレル/kgになっている。)このびっくりするようなホウレン草の数値は、一連の文部科学省の雑草の測定データーを参考にすると納得できた。

 

この雑草のデーターについては川俣町は3月25日から測定されているが、放射線ヨウ素も663000ベクレル/kgであるが、セシウムも驚く程高く497000ベクレル/kgと始まっており、4月1日には最高966000ベクレル/kgとなっている。二本松市も2011年3月25日から測定が始まっている。ヨウ素はいわき市に比べ低く、73400ベクレル/kgから始まっているが、セシウムは235000ベクレル/kgといわき市に比べると10倍以上高くなっている。

 

南相馬市原町区で測定されているが、3月18日放射線ヨウ素88600/kg、セシウム17800ベクレル/kgから始まっているが、翌日は、放射線ヨウ素は突然数値が跳ね上がり455000ベクレル/kg、その翌日は497000ベクレル/kgで最高である。その後は下がっていく。セシウムは17800ベクレル/kgから始まり、3月27日39900べクレル/kgとなっている。


飯館村のデーターは当初より測定されていないので掲載されていない。改めて比べてみれば、いわき市と川俣町の放射線ヨウ素の値が突出していることが分かる。途方もない放射線が放出されたことは事実のようであった。

 

ともあれ、原発事故後五日目の3月17日、病院で受け取った甲状腺ホルモン補填剤を通じて原発との接点と遭遇してからは、ともかく情報を集めることだった。それに焦点をあわせ、私のストレス全開の闘いが始まった。(つづく

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☆ブログ更新しました。

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2016年7月14日 (木)

リバイバル・甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(2) 

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甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(2) 


■私の病名は橋本病

私は甲状腺疾患を2005年位から患っている。病名は橋本病という。
 最初は甲状腺機能低下症という病気かと思っていて、いつか完治するものだと思っていた。 昆布を食べ過ぎても甲状腺機能が低下することもあるとものの本にも記述されていたため、そうした病気とは認識していなかった。しかし、後に、生涯甲状腺ホルモン補填剤を常用しなければならない橋本病と病名が診断された。

 橋本病とは慢性甲状腺炎症というのが別名で、何らかの理由で自分の抗体が自分の甲状腺を攻撃してその機能にダメージを与える病気のようだった。
攻撃された甲状腺は機能が壊れ甲状腺ホルモンを出せなくなって、様々なところに支障が出てくるようだ。私の場合は、まず鼻の頭にニキビ様の出来物ができた。顔の真ん中なので面疔かと思い、皮膚科に行った。医師の見立てはニキビとのこと。ニキビ用軟膏をくれただけだった。が、直後から、かえってひどくなった。血行も悪くなり、足の爪などが変色していった。

 やむを得ず、クリニックの内科を尋ね血液検査をした結果、コレステロールが高いことが判明した。中性脂肪もLDLコレステロールもすべて高いことが分かり、早速食事療法をさせられたが、この原因が甲状腺疾患によるものだと判明するのに、一年半程掛かった。

  念のため、セカンドオニオンとして、電話での医療相談をしてみた。症状を話すと「それは甲状腺疾患の可能性もある。血液検査で分かるからチェックしてもらうとよい。」と指導され、そのクリニックの医師に、コレステロール検査の折に、甲状腺の血液検査も追加し実施した。しかし、クリニックの医師はTSHが高かったにもかかわらず「異状なし」とし検査結果を誤診はした。(この頃は、TSHが何かという知識もなかったので、医師の診断結果を疑うこともなかった。)

 血行は益々悪くなり、その年の冬、また鼻の頭に出来た出来物は潰瘍状態に腫れ上がり悲惨なものだった。いくら食事療法をしてもコレステロール値はさしたる変化もなく、私は体重を減らし、一年位後には40キロを割った。(この間、呆れるほど虫歯になり、多くの歯を犠牲にした。それでも、医者を変えなかったのは、その医師が漢方医でもあり、人柄の良い医師だったからである。しかし、甲状腺のことには詳しくなかったのだった。) しかし、一年半も経て食事療法の指導ばかりで体重が36kg近くにもなり、症状も好転せず、さすがおかしいと私は医者を変えてみた。

 そこでの検査で初めて甲状腺に問題があることを知り、甲状腺ホルモン補填剤を恒常的に経口することになることになった。(先のクリニックの医師の誤診のおかげで、一年半もの間、ホルモン補填剤を飲む機会を失し、様々な症状に苦しんだ。)しかし、この甲状腺ホルモン補填財は、その処方さじ加減が専門家でないと難しいらしく、その後も多すぎたり少なすぎたりで、そのたびにコレステロールが跳ね上がった。

 その後三回も医師を変えて、やっと市民病院に紹介状を持参し、甲状腺専門の医師の受診が叶った。ここで、甲状腺エコーも受け、正式に橋本病と診断されたのだった。
私が甲状腺疾患を持った患者であることは先にも言ったが、それゆえ、甲状腺ホルモン補填薬を毎日一錠、7年余永続して使っている。

 そして、2011年3月12日福島第一原発事故が起こった。この原発事故と私の接点は、この薬レボチロキシンナトリウムすなわちT4製剤であった。生涯服用していかなければならないこの薬を通じて、私は原発事故後、製薬会社、関系官庁、学会等の矛盾や隠された事実を知ることになる。

 そもそも、その薬というのが福島県いわき市に立地する某製薬会社で作られそのシェアが98%を占めていて、その薬が供給の危機に陥っていると後に知った。(この薬の供給不足については、ロイターや読売新聞でも社会問題化していた。)

 その薬の商品名はチラージンSといい、製薬会社の名前はあすか製薬といった。(その情報を知ったのも、原発事故後五日経ち、市民病院に定期診察に行った折、チラージンSの供給不足について医師から伝えられたことで始めて知った。それまでは愚かなことに、製薬会社名すら知らないまま一日一錠を7年近く服用してきた。ましてや、その会社が福島県に立地していることなど知る由もなかった。)
 

 そして、この日から、色々な意味での私の闘いが始まった。そうした闘いのプロセスにおいて、私は驚愕に値する製薬会社、関係官庁、関係学会等の影とその舞台裏を知っていくことになる。最初は半信半疑だったが、事故後二年余経って、少しずつその意味するものの正体が分かってきた。そして、その正体に付随する影の正当性を問うようになった。         (つづく)

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2016年7月11日 (月)

甲状腺患者から見えた原発事故(1) はじめに

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甲状腺患者から見えた原発事故(1)
  

 第一章
     
     患者としての体験<1>
        
           

はじめに……

 一昨年、水戸で福島第一原発の事故で精神的に不安定になった六十代の妻を七十代の夫が殺したという事件が報道された。妻が殺してくれと夫に依頼したという。 

情報公開されたSPEEDIを追ってみても、2011年3月15日放射線は福島県富岡町から、いわき市を通り抜け茨城県まで届こうとしている。
 

 また、昨年三月NKKのETV特集で「ネットワークでつくる放射線汚染地図5「埋もれた初期被爆を追え」という番組で、放射線ヨウ素131の拡散状況が公開された。その図を確認すると、3月15日、一万ベクレルという放射線プルームは真夜中頃から南に流れ、福島県南部から茨城、栃木、群馬へと流れていった。おそらく、水戸にも大量の放射線が達したことだろう。その放射能は午前中に関東地方全てに届いたという専門家の見解も出されている。
 

2012年5月9日川俣町の五十代女性の遺族が、東京電力を提訴したというニュースも報道された。女性は七月の一時帰宅の折り、自宅の庭で焼身自殺をしたとのこと。原発事故という余りに苛酷な運命に晒され、慣れない避難生活に鬱状態になり死を選択したのだろうか。平穏な日常生活を一瞬にして奪われ、おそらく、女性は倒れていったのだろう。 どちらの女性も、見えない放射線と対峙しなくてはならず、そのストレスはいかばかりかと想像するしかない。そして、私にも共感できる心情があった。
 

私も甲状腺疾患があり、福島第一原発の事故に対し薬という媒体で接点を持っていた。 この接点を知ってから私は年中苛立っていた。なぜなら、この製薬会社が福島県いわき市に立地し、しかも98%シェアを占めていて、変更したくともそのルートが見いだせない困難の上に立っていたからだった。
 

この精神状態がストレスの引き金になっていたのか、2011年、私は三度頭を打った。こんなことは初めての体験だった。ともかく、始終、苛立ち集中力を欠いていた。(これも原発事故によるストレスらしいと実感したのは、後になってからである。)

一度目は六月ベッドの宮の角に後頭部をぶつけ、二度目は8月か9月(この時は軽く打っただけだったので、さすが、自己嫌悪で医者へは行けなかった。)三度目は11月末のことだった。(出窓の下の枯れ草を整理し、立ち上がったとき軽率にも右頭部を打った。)
 

 6月の時は、翌日脳神経外科に行きMRAを受けた結果、とりあえず異常はみられなかった。まさか、11月に、また頭を打付けるとは思わなかったので、7月に、整形外科でレントゲン撮影をした。というのも、震災後、左半身手足に痺れたような不快な感覚があり、左頬まで痺れるような症状が出てきたので、検査を急いだのだった。
 

 しかし、11月末にまた頭をぶつけCTを受けるはめになった。この年だけで合算すると、2.819mシーベルト位の放射線を浴びることになってしまった。(この間、歯科治療で3回位レントゲンを浴びているので、数値はもっと上がっているだろう。)食生活までも、セシーム過敏症になり、魚や海産物など食べられなくなってしまった。いちいち生産地を細かく吟味するのも負担がかかり、食べるという行為にすら苛立った。結果、食生活が荒れた。年中、常態的に苛立っているため血圧まで上がってしまった。
 

整形外科、神経内科、脳神経外科の精密検査結果は問題なかったので、多分に心理的なことだったのだろう。しかし、結果的に、合算して2.819mシーベルトの医療被曝をしてしまった。
 

考えれば、今回の福島第一原発事故ゆえに精神状態が不安定になり、余計な被爆をしたのである。原発事故がなければ、頭をぶつけることもなかったろうから、レントゲンやCT等受けることもなかったろう。とりあえず、私の2.819mシーベルトの医療被曝は、今回の福島第一原発事故により、製薬会社が福島県に立地し、その製剤を飲まなければならないという精神的に追い詰められた因果関係による医療被曝だと思っている。
 

要するには、私も原発事故の影響を少なからず受けたという感覚がある。少なくとも、そうした割り切れない怒りは事実だったし、多くの人々も、様々な影響を被ってきたことだと思う。                 (つづく)

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あとがき

☆ブログ更新しました。

☆原発事故から5年以上経ち、記憶も風化しています。でも、本当は何も解決されているように思えません。あの時の疑問を、再度、掲載して記述しておこうと思います。文章は、そのままにしています。

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