« 甲状腺患者から見えた原発事故(6)福島県内7方部の空間線量を発見する | トップページ | 甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(8)  »

2016年8月19日 (金)

甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(7) 市民病院院長に手紙を書く

Cocolog_oekaki_2016_08_19_23_06


  市民病院院長に手紙を書く

■疎外感と孤立感と闘う

あすか製薬のこの回答から、私は、たぶん、この会社は駄目だろう。一患者でしかない私が収集したデーターすら掌握もできなかった会社に対し不安感は拭えず<製薬会社として、こういう危機意識の低い対応では不安だな>という意識が、私の心を占めていった。多分、情報公開等はしないだろうというよりできないだろうと予測し、薬は、どうしても変えざるを得ないと決意した。
 

それを裏付けた私の論拠は、私達患者にだって、薬の選択権というものが絶対あるはずというものだった。この論理が私を誘導していた。あとは、何が何でも、そのことを実現するのみだった。とはいえ、前途は多難で先すら見えなかったし、自分自身の精神状況も苛立って荒れていた。その理由は、やはり孤立感だった。というのも、放射能に晒されているかもしれない薬を口に入れなければならない患者の気持ちなど、誰にも理解されていないという感覚だった。「安全性」を言葉にしながらも、医者だって薬剤師だって関係官庁だって自分が飲む訳ではないので、本質的には他人事だった。その温度差に傷つき、疎外感を感じた。
  

例えば、私が必死で情報収集した結果、あすか製薬から若干であれ放射線が検出されたという情報を得たが、その事態は大変な衝撃であった。なぜなら、私たち甲状腺患者は、薬を毎日飲まなければならないからである。普通の製剤とは異なり、恒常的に飲まなければならないからだ。(もとより、健康な人に比べれば、免疫力が低く甲状腺機能を失っているから、ホルモン製剤を使用しなければならないのである。それゆえに、患者なのである。)

例えば、一昨年4月14日市民病院に診察日の折り、あすか製薬のチラージンSから放射線値が検出されたという情報を、一昨年4月14日診察日の折り、何げなく現在の担当医に伝えても一笑され、「そんなことないですよ!」と反応された。また、病院近くの処方箋薬局に立ち寄った時、いわき市の雑草の目眩のするような数値を口にしても、その数値の情報など、無論知らなかった。さらに、処方選薬局とはいえ、数ある製薬会社や薬の中で、チラージンSの工場が福島県内で製造されていることすら把握していない様子だった。


無論、「我々患者の立場を理解しろ!」という方が無理なのかもしれない。温度差はあるかもしれない。 しかし、惨めでやるせない気持ちだった。何か自分だけが周辺から囲われて孤立したような孤絶感というか、追い詰められたような感覚があった。

雑草の放射線ヨウ素690.000ベクレル 、セシウム30.300ベクレルという数値が脳裏に焼き付いたまま離れなかった。そんな処に立地する薬を飲まなければならないのだ。98%シェアの壁が、自分に向かって立ちはだかっていた。にもかかわらず、そんな環境下の薬を避ける自由すら与えられていない今の自分の立場の不条理――そのことに、多くの人は関心を抱いてくれず、心も寄せてくれないという孤立感というか、疎外感はどうしようもないものであった。 

医療体制の歪み

98%シェアなどという薬事政策の無策を放置してきたこの国の不文律があるにもかかわらず、こんな原発事故という緊急時に、厚生労働省は薬の放射線検査もしてくれず、あすか製薬のチラージン供給シェアを、暗黙裡に(あるいは意図的?)に見過ごしている状況があった。


この国の歪な医療行政――そうした体制下に、強引にねじ伏せられている日本の甲状腺患者の置かれている位置が、不当で哀れであった。本来、こんな状況下に置かれた薬を飲む等ということは、パニック状態になると予測されるのにもかかわらず、インターネット検索をしても、当の甲状腺患者からの不安の声は、余り上がってきているようには思えなかった。そもそも、こうした気力の欠如、怒りの欠如、状況受容のゆるさが、五学会ら舐められる要因にもなってしまわないとも限らない。

私としては個々人の患者の主張を期待したいが、やはり、患者たちは発言する機会も奪われているし、横に繋がる手段も余り持たず、おそらく、声を上げても無駄だと思っているのではなかろうか。現状のように、何でも既得権維持を、ごく上層部の製薬会社、関係学会、関係官庁で決定してしまうとすれば、もはや、何を言っても無駄という雰囲気に包まれ、自ずと気力も喪失してしまうだろう
 

たぶん、この気持ちは、被曝者にも共通するものかもしれないと思った。(原発事故後のこの年、年末私自身、かなりの医療被爆をする未来が待っていたがその時は自分の未来を予知できていなかった。)それでも、<私は、闘う。私は、決してこんな状況にねじ伏されるものか……そこしか出口がないではないか。>と何度も自分を奮い立たせたものの、出口は見えなかった。そして、その先には、何を語っても空しいという虚無感があった。

政府の薬事政策により98%シェアという現実に阻まれ、しかも、雑草に放射線ヨウ素690.000ベクレルも降り注いだ土地に立地している工場の製剤を経口しなければならないという不本意さ――その驚くべく数値を、関係ない多数の人は知らないというのも私の苛立ちを深くした。(現実に放射線は出ていると言いながら、当該企業は、その数値は教えないのである。)

こんな現実がありながら、その状況に誰も手を差し伸べようとしない不合理さ――しかも、その不合理が、周辺から崩されて正当化されていく焦燥感もあった。もしかしたら、この孤立感と無力感いうのは、沖縄の基地問題に苦悩している人々、そして今回の福島の被災者、及び被曝者たちが抱いた感情なのかもしれないと思った。差別されているというか、虐げられているというか、自分の生きている場所が狭くなっているというか、自分だけが放置され周囲から浮くような感覚というか、一種諦めに似た感情……すなわち孤立感、疎外感が、心の底深く沈潜していくのである。やがて、その重さに耐えられなくなり、追い詰められていくのだろうかと思ったりした。

この時、私は自分が追い詰められていることを感じたし、かく追い詰められていく時間が長ければ、その先に自死もあるのかなという感覚を意識した。その不本意さは、すなわち、解決出来ることを誰も解決しようとしないという苛立ちというか、怒りに似た感情だった。

 
考えてみれば、98%シェアなどという体制をつくったのは私ではない。もし、私が日本に居住していなければ、こんな不本意な体制にはなっていないだろうから、緊急時にすら安全性を入手できない等という事態に遭遇はしていないだろう。ゆえに、こんな状況下で苦しんだりしないで済んだであろう。もし、安全性という視点に立てば、政府が即緊急輸入をし、その間安全性を確保できない薬は出荷できなくすればいいではないか。

確かに緊急輸入は4月7日に実現した。しかし、このプロセスも不自然であった。にもかかわらず厚生労働省は、放射線が若干であれ検出されたあすか製薬の薬の出荷について止めなかったし、注視すらしなかった。その数値も同社任せにして、確認すらしようとしなかった。厚生労働省は「放射線の薬の安全基準」もないというのに、どんな根拠で放射線が、自然放射線の範囲だったとして検出された製剤の出荷を放置したのか。

この件は何度も厚生労働省監・麻課に訴えたが、「権限がない」と暗に断られてきたし、食品の安全ダイヤルにも電話を入れ相談したが「薬のことは分からない」と繰り返すばかりだった。ある大手の製薬会社に一般論で聞くと「それは国際的基準に則って製薬会社は作られているので、つくる必要がないと思う。」と言っていた。「でも、その工場や倉庫が損傷していたとしたら?」と問うと「そうしたものは、うちだったら出荷しないと思う。」との回答だった。



震災・原発事故により製薬工場の絶対的安全基準が崩れた場合は、その例外が適応されなければならないはずではないか。(なぜ、こんな前代未聞の緊急時に、少なからず放射線が検出された製剤について、厚生労働省は何らかの対応をうたなかったのか、私には、未だに分からない。)


この頃、食物のすべてにセシウムが付着しているような気がして普通の食事はできなくなっていたし、食事事態楽しいものでなくなった。そのことを話すと、担当医師から心療内科を勧められた。しかし、この頃、心療内科も予約が取れない程混んでいた。結局、痺れは心療内科ではないだろうと自己判断し(自分の心が分析されるのが何より嫌だった。


なぜなら、雑草に690.000ベクレルも降り注いだ放射能のものを経口する立場にされた私の立場は、相談したって軽減しないだろうし、第一自分には責任がないことなのに、何故私が診療内科の助け等を借りなければならないのかと、不当に感じたからだった。)精神的なことから起因しているかもしれなかったが、今回のことは私の責任はなく、社会的な問題であることを自分に言い聞かせたかったのだと思う。とにかく、事態を嘆いている余裕は私にはなかった。動かないものを、何が合っても動かさなければならない。なぜなら、それが道理であり筋だった。<私は間違っていない!> 私は自分を励まし続けた。

日本甲状腺学会も日本医師会も当てにならない。関係官庁も無論駄目。こうなったら、病院の院長に直訴するしかない! <失敗したら失望感はもっと大きいだろうな>と思いつつ、しかし、進んでみるしかなかった。見渡したところ、道はどこにもない。ならば、創るしかない。第一、私の言うことは筋が通っている。私たちは患者だが、消費者でもあるのだ。私たちは消費者としての権利だってあるはずだ。もし、それが阻害されているのならば、闘って自分の手で勝ち取るしかないではないか。駄目で元々だ。まず、現状を訴えるべく、手紙を書いてみようと思った。


困難は分かっていた。なにせ、当市すべてがこの2%シェアのジェネリックの製品名も、その存在すらも知らないのだから…。それゆえに、裁量権がある人でなければサンド社のルートを敷設すること等できないだろうと思えた。やはり、担当医でなく、病院長に手紙を書こう……私は決心した。

5月19日 今までの事情と経緯を病院長へ向かって手紙を書いた。すなわち、「いわき市はかなり放射能汚染があること、いわき市事態、すべてのデーターを公開しているわけではないこと、その地に立地する製薬会社の安全性に不安があること、薬の放射線の基準もないこと、この会社のシェアは98%で切り換えは困難を極めていること、政府はジェネリックを推奨しながら、そうなっていない現状は変ではないかということ、通常の時ならいざしらず、今は非常時であること、また、私たち患者は消費者でもあり、薬を選択する自由もあるのではないかということ、甲状腺患者はそれでなくともホルモン補填剤として毎日薬を経口しなければならないこと、しかも、放射線には気を付けなければならない疾患であること」などを訴えた。

そして要請した。「市民病院は我が市の拠点病院であること、それゆえ、2%であれ何とか院外にサンド社のレボチロキシンナトウムを扱ってくれる処方箋薬局の設置してもらえないものだろうか。サンド社はオーダーがあれば可能だと言っている。何とか御英断をお願いしたい。」という旨の文書を作成し、投函した。それから一週間位して病院から連絡を受けた。それは、暖かい内容のものだった。私の提案に添って「院外処方箋が可能なように、病院に隣接する処方箋薬局でサンド社のレボチロキシンナトウムを扱ってもらえるよう依頼したので、治療に専念なさるように……。」との趣旨が書かれていた。次の来院時に担当医師にその意向を伝えるようにとのことだった。

原発事故以来、あっちこっちに電話をし、手紙を書き自分なりに苦闘し現実の壁にぶつかり悩み苦しんだ問題は、あっけなく解決した。が、私の気持ちは複雑だった。サンド社の窓口が、奇跡的に開設された事に感謝し安堵したはしたものの、こんな風に解決できるなら、私が直訴する前に、何故患者のためにこうしたルートを作っておいてくれなかったのだろうという若干の疑問である。何故なら、患者以外の人だって、690000ベクレルの放射線ヨウ素が雑草に降り注いだ地に立地する工場が作った製剤を、喜んで飲むものだろうか?ということである。

やはり、できれば避けたいと思うはずである。(それが本当に安全か、その安全性を当の製薬会社はもちろん、関係官庁政府などで、きちんと監視してくれた上の話ならば別だが……。)現実は、当該製薬会社は、すべての真実のデーターを掌握しないまま安全宣言をしていて、それを日本甲状腺学会までも同調して「あすか製薬に放射能の影響はない。」等と言っている。架空の安全神話が、ここでもドミノ式に一人歩きしていた。

それでも、病院の長として今回の原発事故の影響を考慮し、私の訴えに耳を傾け、現場改革を実現して下さったことには、敬意を表するばかりだった。
官僚国家――日本において、現行と異なることを実行することが、かなりの勇気が必要であることは予測できた。市民病院も、とりあえず市立である。そして、この市は、かなり封建的である。

(坂の町当市におけるゴミ問題は山積しているし、車道整備も40年も放置したまま、平然と都市計画税を取る。長年、一度も調査さえしていない土地の固定資産税を他区域と同率で徴収する。四年位前、県のモニターをした時、その事実を県に提言し、県から市へアドバイスを入れてもらったにもかかわらず回答すらなかった市である。そして、未だに回答もなく無視されている。そんな市行政に、転居以来絶望していた。)


にもかかわらず、市民病院では、かく緊急事態に現場対応でサンド社のルートを開発し、かつ隣接する処方箋薬局に協力要請もしてくれた。おそらく院長の依頼を受けて処方箋薬局も、私一人のために初めてレボチロキシンナトウムをサンド社へ発注してくれるのであろう。ある意味、多くの人に負担を掛けることになった。

(去年の秋、レボチロキシンナトリウムの一日の個数が違わないかと担当医に相談すると、医師は25mmgに処方箋を変えた。この処方箋を薬局へ持参すると、50mmgしかないという。どうやら、口に出してはっきりと言わないが、処方箋薬局は、私一人のために薬を仕入れてくれている様だと推測できた。
そのことを担当医に報告し、「どうやら、私のために、レボチロキシンナトリウムを用意してくださっている様ですけれど……。」と言うと、担当医は「そうですよ。」と半分からかう様に言った。(やはり、私一人のためにサンド社の薬は、仕入れられているのは、事実だと判明した。)

それでも、緊急時における市民病院の院長の勇気ある判断に素直に感謝し、私は、急ぎ礼状をしたため院長宛に送付した。一昨年6月3日のことである。しかし、冷静に考えれば、私は消費者としての選択できる権利を行使しただけなのである。この国では、皆が正当な権利を主張し行動してくれれば、少しは社会が変わるはずなのに、この国の多くの人は我慢強く、長いものに巻かれていく方式というか、波風立てない空気を読む方式というかが蔓延していて、私一人が目立ってしまう。

こんな緊急事態にもかかわらず「なぜ98%を強要されなければならないのか! 医療体制の歪みではないのか?」と問題提示をしないのだろう。なぜ、甲状腺患者は「己の既得権益維持のため、緊急輸入するような企業の薬等飲みたくない!」と言ってくれないのか。「690000ベクレルも放射線ヨウ素が雑草に降ったリスキーな土地に立地する製薬会社の薬が、本当に安全なのか?」となぜ厚生労働省に詰め寄ってくれなかったのか。みんなでそう叫べば、私たちは、もっとフェアなシェアを手に入れられた良い機会だったかもしれないのに…。残念ながら、権利を主張しなかった甲状腺患者たちは、そのチャンスを逃した。そんなことで本当にいいのか……権利を屈服させられたままで……。

 
(私は2011年四月、四回も厚生労働省監・麻課という部署に電話をしたが、当該製薬会社の安全性は、論議の対象にすらならなかなかった。「そんなことをしていたら、流通が止まってしまう。」というのが、その論拠だった。) しかしそれは口実である。(なぜなら、緊急輸入は、あすか製薬がイニシャティブを取るということは決まっていたようであるからだ。)

重ねて言うが、緊急輸入は、本来は患者のための輸入であるはずなのに、一部の既得権者のために実現されたようなのである。(経緯の詳細は、後の項目にて詳述する。)レボチロキシンナトリウム製剤の緊急輸入は、原発事故後一週間位の間に当該企業、学会、T4委員会のサンド社への要請で決定してしまった。それは、患者の供給のための輸入ではなく、単に、当該会社の既得権益維持のための行為であった。

当該企業あすか製薬が放射線検査をしたのは、原発事故当初3月26日である。(しかも、微量であれ放射線は、検出されていた。4月11日、私は、同社から、その情報を確認していた。)当該企業は震災後、損傷した。そして、工場も倉庫も立ち入り禁止になった。(そう「薬の相談室」の責任者は言ったし、当該企業の三月ニュースリリースでも言っている。東洋経済でも、立体倉庫が損壊したことは報道されていた。)すなわち、破損し誰も現場に近づけず、3月26日まで放射線検査等できなかったわけである。


にもかかわらず、いわき市に立地する当該製薬会社は、放射線検査も済んでいないうちに、緊急輸入を自社の既得権維持のために動いた。日本甲状腺学会を始め他4学会も切迫した供給不足を理由に、当該企業の後押しをして、サンド社に文書電話等で要請したそうである。(この経緯の詳細も後の項目で詳述する。) しかし、問題は、当該企業の工場が立地する場所は、福島県いわき市にあり、一万ベクレル/平方メートルもの放射線プルームが通過した場所なのである。昨年3月11日のNHK特集で報道された。今となっては絶対的事実なのである。


(原発事故当初ですら、何度も言うが、3月18日文部科学省の雑草のデーターでも既にヨウ素690000ベクレル最高で検出されていた。セシウムも最高30300ベクレル検出されていた。そして、この濃いデーターを、いわき市すらホームページに掲載していなかった。)こうした放射線リスクのある土地に立地する当該企業の安全性等に問題があったかにもかかわらず、誰もこの件を黙殺したまま、不透明な緊急輸入は一週間で取りまとめてしまったらしいことである。(この経緯の詳細も、別の項目で述べる。)

  
■患者と医師の温度差

だが、つらつら考えるに、このことは、私個人の我儘という次元の話ではなかろうと思うのだ。本当は、甲状腺患者皆が自分の薬を選択する権利として自分の権利を行使してくれれば力になるはずなのである。こうしたことを当たり前にしてくれないようなので、どうやら、私一人が騒いでいるように見え、私一人目立つという構図になる。それにしても、こんなに様々に虐げられているのに、何故、この国の患者も民も、声を挙げて自分の権利を行使しないのだろう。確かに、患者たちは孤立していて、なかなか横に繋がれない。インターネットで検索しても、甲状腺患者としてのホームページはあったものの、自分が飲む薬がリスクに晒されているにもかかわらず、その危惧を記述しているブログは見つけにくかった。患者は体力に欠けるという点で、既に闘うという社会的気力を失っているのだろうか。
 

本来、患者の尊厳は医師が代弁してくれそうだが、医師も直接薬を飲む訳でもなく、意地悪い言い方をすれば、そこまで精神的に患者に寄り添ってくれる医者も少ない。たとえ、そういう仁に厚い医師が存在したとしても、経済的利益団体である製薬会社のパワーに押され気味であろう。なにせ、現実は、経済を握っている者にアドバンテージがある。それに、医師とて患者の肉体的苦痛や社会的苦悩など本質的意味で実感しようもないのだ。医者は患者ではないのだから……。

医師と患者――そこには微妙であれ、それなりの亀裂は避けられないのだと思う。もっと言えば、患者より製薬会社に距離の近い医者もいないとも限らないということだ。(日時が経って、信じがたい資料が、多々出てきた。)

つづく

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ブログ更新しました。

|

« 甲状腺患者から見えた原発事故(6)福島県内7方部の空間線量を発見する | トップページ | 甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(8)  »

原発・放射能・甲状腺」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1886448/67086961

この記事へのトラックバック一覧です: 甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(7) 市民病院院長に手紙を書く:

« 甲状腺患者から見えた原発事故(6)福島県内7方部の空間線量を発見する | トップページ | 甲状腺患者から見えた原発事故--患者としての体験(8)  »