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2016年12月

2016年12月31日 (土)

子宮頸がんワクチン被害者少女の母の手記! 

 子宮頸がんワクチン・副反応はあるではないか!
 

この記事はアメブロに掲載したものです。こちらのブログでは原発事故関連の記事を紹介しているので、子宮頸がんワクチンと直接関係がないのですが、あまりに衝撃を受けたので、ココログの私のブログを見てくださった方にも見ていただきたくて、掲載させていただくことにしました。

その内容は想像を絶する内容で、そこには子宮頸がんワクチンによって、瀕死の状態の娘さんを前に奔走するご両親の姿がかいま見えました。その手記は、キャロリンさんのブログで、たまたま私の書いた記事に「いいね」を下さった方でした。そこには、子宮頸がんワクチンの被害にあった娘さんのお母様の生の声が綴られていました。


実態は私が想像していたよりずっと深刻で、もし、ご両親さんが必死の思いで動かなかったら、おそらく娘さんは亡くなっていたかもしれません。何より医療体制の受け皿が、まったくないのが現状のようなのですが、厚生労働省も国会議員もどこ吹く風という按配なのがもこの国の現実です。


この件が関しては、推奨した公明党元議員松あきら氏のご主人が製薬会社の弁護士をしていて、その関係が利益相反にならないかと疑われたようでしたが、何のお咎めないようで苦しむのはワクチン被害者の少女たちだけのようです。
被害を蒙った少女たちは、誰によってこんなに苦しめられているのでしょうか。では、キャロリンさんの手記を紹介しましょう。

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子宮頸がんワクチン副反応 医療体制を整えて! 
http://ameblo.jp/carolyn-kidman

2016-12-09 17:38:10NEW !

いつまで、子どもたちも、医師の勧めに従って、処女でないと意味がないということも、
隠されて接種させられた女性も、子宮頸がんワクチン接種後の副反応を抱える人たちは、
苦しまねばならないのだろうか?

頭痛に嘔吐。
不随意運動に脱力、(ジストニア)
自分で自分を支えられない。
入浴も出来ない。(3週間以上入浴できないほどの疲労感)
トイレにも行けない。
ムズムズ足(腰)
激しい疲労感と衰弱。
 
あの時の恐怖を私は思い出す時、
今でも強烈な無力感と諦めに襲われる。
我が事のように思い出す。
死んじゃう!
あの時、凄く努力した。
転居した私たちは、行き場をなくしていた。
かかりつけ医を近所に見つけられずに玉砕続きだった。



娘は、日に日に衰弱して行った。
困って、昔の主治医に事情を話すと大学病院に頼み込んでくれた。
予約票のファックスも送ってくれて、翌朝、掛かれることになった。
とても車椅子にも乗れる状態ではなく、ストレッチャーを借りて来たが、娘は拒み、
やっとの思いで車椅子に乗せた。



採血結果が悪かったら、連絡すると言われて帰宅。
何もして貰えず、そのまま帰された。
後日受け取った血算データは、
SAA(アミロイドーシス)も高く、
赤沈は60を超えていた。白血球は低値。
ヘモグロビンも低値だったのに
連絡は貰えなかった。



ジリジリしながら、数日が過ぎた。
どんどん衰弱していくのを見つめるだけ、
あーもう死んじゃうんだなあ〜
そう感じた。



何と無く、私が、気力も失くしていた。走馬灯のような感覚で、
不思議な感覚で見つめていた。
放心状態に近かった気がする。
漠然と
「この子が死んだら私も死のう!」
そんな自然な思いを人ごとのような感覚で、感情を持たずに思っていた。



どのくらいの日々が過ぎただろうか?
夫が、動いた。
ずっと、他人事のような私の言うなりに仕事を休んで病院に行ってくれても、
医師の診察時にはトンズラするような夫が、
「南国病院に頼んだら、週明け直ぐに連れて来てと言ってくれた。」



片道1000キロの道程を陸送する。夜通し走ったりして。
公共交通機関など使える状態ではないから。
どこの家も、父は会社の有給休暇は娘や妻の通院介助に充てている現実がある。



連れて行った時には、
赤沈は100
ヘモグロビンは、5を切っていた。白血球も低値然り!



直ぐに主任の先生が飛んで来て、何かあったのか?経過を聞かれた。
そして、
現状が、とても命も危険状態であること
心不全が起きて意識不明になりかねないこと。
敗血症の危険もあること。
白血病の可能性もあること。などを聞かされた

それでも、受け入れて貰ったことで私は、大きく安堵した。
諦めに近い放心状態から解放された。
そして、危機を乗り越えて、娘は、
命拾いをした。

本当に、命があって良かった。
神様神様
って気分だった。

他の人も、同じ思いをしている今
あのドキドキが、甦ってくる。
救急車を呼んでも、受け入れ先がない現実。

命を見殺しにされているとしか思えない。
この苦しい戦いは、いつまで続くのか?
国が敷いた医療体制は、全く機能していない。

こんな不安だけでも取り除けて、
近くで、いつでも、親身になって耳を傾けてくれたら、少しは癒されるのに。
人間不信が、解消されるのに。
この壮絶で、綱渡りのような現実を多くの人に知ってほしい。

それだけじゃない。
有る事無い事で誹謗中傷されて、
子供が被害に遭って、
家庭崩壊したり、離婚した家族もある。

どうか、多くの国民に寄り添って頂きたいと願っています。(転載おわり)


少女たちの現場は、想像以上で壮絶でした。こんな様なのに、日本産婦人科学会は「日本だけが遅れていく状況になるのを危惧している。」として厚生労働省に推奨を提言しているそうです。

誰のための医療なのでしょうか。この構図は福島原発事故の児童甲状腺ガン患者たちへの対応と相似形ですね。
 


この転載につきましては、管理人さまから許可をいただきました。
リンクを貼っておきましたので、是非そちらをご覧下さい。
 

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六花華園
 

☆ブログ更新しました



一年間、つたないブログを見てくださり有難うございました。



ココログは全国の地図があり、 

北は北海道から南は九州 

までのアクセス状態が分かります。 

 いつも全国からアクセスいただいているのだなあ 

と感謝しています。

 

 

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2016年12月10日 (土)

福島旧避難区域の広野町で園児ミカン狩り (共同ニュースから)

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 福島で園児がミカン狩り 旧避難区域の広野町

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161205-00010002-jisin-soci

2016年12月6日共同からのニュース。旧避難地域の広野町で、園児がみかん狩りだそうだ。放射性物質の検査では今年も検出限界値未満だったそうだが
放射性物質はセシウムだけに限らない、園児に食べさせて農作物安全のイメージを植え込もうとしている意図が感じられる。共同のニュースを拡散したい。

(転載)

東京電力福島第1原発事故でかつて避難区域だった福島県広野町の町営ミカン畑で6日、ミカン狩りがあり、招待された地元の幼稚園児約50人が甘酸っぱい実をほおばった。

園児らは暖かな日差しを浴びながら一つ一つミカンをもいだ。大きなミカンを袋に詰めた大和田真咲ちゃん(5)は「家に持って帰って家族と食べるのが楽しみ」と話した。

第1原発の南20~30キロ圏に位置する同町は温暖な気候で知られ、町ぐるみでミカン栽培をしている。除染の効果もあり2013年からミカン狩りを再開、放射性物質の検査では今年も検出限界値未満だった。(共同)

研究者が作成した地表ベータ線マップでは、広野町は年間10-30mSvの汚染地域に色分けされているそうだ。放射性セシウム以外の核種によって、汚染されていない保障もないだろう。どなたかが、口コミで「 犯罪的行為というか、犯罪行為そのものですね 」と投稿していたが、私もそういう風に思えてならない。 

子どもは守られるべき存在のはずだが、福島安全神話を再び根付かせるプロパガンダにしか見えない。暖かな日差しとみかんのオレンジ色のミカン、そして園児…幸せを演出して残酷さを浮かびあがらせている。

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☆ブログ更新しました。

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